077. 失われしもの
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「プーチンが始めた戦争」により 黒海は封鎖され ウクライナは穀物を輸出できず 世界的な食糧の供給不足が懸念されている
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・円安・原油高・穀物の供給不足が重なり 値上げラッシュに
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・上記出典:東京新聞
「失われしもの」
ある寒い冬の日 「シベリア鉄道」と「冬のシベリア」を体験したいと ソ連へ 開業間もない上越新幹線で新潟へ そして さらに寒いハバロフスクへ 「シベリア鉄道」の端っこ ハバロフスク~ウラジオストク間を乗車
列車は ” 貨物専用石炭長距離列車 ” に コンパートメント車を連結したという印象 ユーラシア大陸の端っこ・極東とはいえ タイガを駆け抜け
何か「大陸」を感じた初めての経験(窓の外は -30度以下)同じコンパートメントのロシア人の家族も「古き良き」というのでしょうか「大陸的」で心温まる
当時のソ連に関わる印象的な " 事件 " は まず 教科書に出ていた「ガガーリン(地球は青かった)」(1961年)そして「プラハの春」(1968年)の武力鎮圧 そして ミュンヘンオリンピック(1972年)の男子バスケットボール決勝「ソ連
VS アメリカ」
残り3秒 時計の針が戻され ゴールリング下の選手に 反対側のサイドエンドから遠投 見事 ソ連選手がキャッチ そして逆転ゴール(同時に試合終了)ソ連は喜び爆発 米国は
表彰式と銀メダル授与を拒否し帰国 これら(ボリショイサーカスや冷凍マンモスやらも)を通して なんとなくソ連を感じていました
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もう一方の鉄道の端っこ モスクワ~レニングラード(サンクトペテルブルクへの改名は1991年)厳密には シベリア鉄道の一部ではないが ターミナル駅からの乗車感もあり うれしかったものだ(伝統の寝台特急「赤い矢」号に乗りたかったが キップが取れず
確か1時間後の別の列車に乗車 これもまた豪華)
フィンランド湾を望むサンクトペテルブルク(通称 サンクト)は また 素晴らしく ほとんどが ロシア帝政時代(ロマノフ朝)の遺産ではあるが 息をのむエルミタージュ美術館 楽しい「ペテルゴフ(夏の宮殿)」(歩いていると突然
小さな噴水が 足元からいくつもあがる)などなど全てが美しいという印象
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シベリア鉄道 モスクワ - ウラジオストク間9,289km 世界一長い鉄道「ロシア号」はモスクワのヤロスラフスキー駅を出発し ウラジオストク駅まで約7日間をかけて走破する これとは別に 第二シベリア鉄道(バイカル・アムール鉄道、バム鉄道)もある(空路を除くと最短・最速の北東アジア~欧州の貨物輸送ルート) |
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(「ロシアという国は、我々日本人にとって不思議な国だと思う」と言ったのは誰だったか
帝政ロシア~ソ連~ロシア連邦と 長年 最も警戒すべき隣人の一つだった しかし その反面 その音楽、文学、映画、料理などの文化やスポーツは 日本人に愛され続けてきたものが多い
音楽では チャイコフスキー、ラフマニノフ、ストラヴィンスキー・・・数多くのロシア民謡
小説ではトルストイ、ドストエフスキー、チェーホフ、ショーロホフ、ツルゲーネフ・・・
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映画では エイゼンシュテイン、タルコフスキー、ニキータ・ミハルコフ・・・
料理では ボルシチ、ビーフストロガノフ、ピロシキ 、ロシアケーキ それにウォッカ・・・
スポーツ選手では ヒョードル、プルシェンコ、エレーナ・イシンバエワ、フィギュアや体操の妖精たち 多くのバレエダンサー・・・そして ボリショイサーカス
私たちの生活に溶け込んだロシア文化は枚挙に暇がない
ロシア語習得のため バレエやピアノのレッスンのため ロシア留学を目指していた若者の多くが断念する
シベリア鉄道での物流を強化してきた日本の企業は 今後どう対応していくのか・・「脱ロシア」の動きは止まらない
「ヴォルガの舟歌」「赤いサラファン」「トロイカ」「ステンカ・ラージン」「カリンカ」「一週間」「さすらい人 (バイカル湖のほとり)」「黒い瞳」「行商人」「アムール河の波」「カチューシャ」「ともしび」「モスクワ郊外の夕べ(モスクワの夜はふけて)」
これらの「ロシア民謡」(ロシア料理店での楽しい夕べ)も懐かしいが 全てが今となっては「失われしもの」
すべての「ロシア的」なものに 今はせめて「ダスヴィダーニャ(До свидания)直訳すると「また会いましょう」)