052. 橋を架ける

・(12月03日)中国が推し進めている巨大経済圏構想「一帯一路」計画の下で建設された中国ラオス鉄道(中老鉄路)開通(完成は 12月02日(ラオス建国記念日))
 ラオスの首都ビエンチャンと中国国境のボーテンを結ぶ417km 全線電化・標準軌(軌間1435mm)の単線鉄道 国境の中国側の街 磨憨(モハン)で雲南省の省都昆明までの路線(596km)に接続し 国際鉄道を形成
 ラオス区間をすべて「中国規格」の鉄道として建設され 国境を越えて自国の車両が自由に行き来できる

 現在 タイ国鉄 同国東部のノンカイとラオス側のタナレーン駅(ビエンチャン近郊)間のわずか6kmを走る短距離の国際列車を運行している メーターゲージ(軌間1m)の線路はタナレーンからタイ、マレーシアを通ってシンガポールまで繋がっている「中国からの貨物をラオスまで運び、タナレーンでタイ行き貨車に載せ替えてASEAN各国に運べるようになるポテンシャルは大きい」と







*ラオスの課題
「債務の罠」
 ラオスは水力発電所の建設(メコン川のダム)でも中国の支援を受けており 中国への対外債務は国内総生産(GDP)の45%に達しており 債務返済による重負担が大きく 懸念される
 「債務の罠」:中国の融資を受けた途上国が返済困難となり、完成したインフラ施設を中国に明け渡すこと
「オーバーツーリズム」
 ラオスはこれまで「交通が不便」という事情もあって、古くからの文化や環境が守られてきた 特に ユネスコの世界文化遺産に登録されている古都ルアンパバーンは「アジア最後の桃源郷」ともいわれているが、ここにも 中国ラオス鉄道 が乗り入れることに
「水運開発計画」
(下図参照 中国は計画をいったん断念はしたものの・・・)
 中国雲南省からラオス北部の古都ルアンパバーン(ルアンプラバン)まで約890キロの間にある浅瀬や岩礁を爆破してしゅんせつし、2025年までに500トン級の船が通れるようにするもの(中国やミャンマーでは既に一部で爆破も行われた)
 川に沿って走るタイ-ラオスの国境線や環境に影響を与えるとしてタイ側が中止を求め、中国側が応じた 




 1980年ごろ 当時話題になっていた「ゴールデン・トライアングル」から バリ島まで旅した 当時 何故か 中国の雲南省~インドシナ メコン川流域に強くひかれていた(しかし この旅でメコンに接したのは ゴールデン・トライアングルでの一回だけ)この川を遡れば 雲南省かァと(中国で川の名はランカンまたはランチャン(瀾滄江)となる この川とは 後年 雲南省西双版納で再会することになる)

 まず バンコクへ飛び そこからチェンマイへ 鉄道か飛行機で行く(よく覚えていない そこから シンガポールまでは全てバス)タイ北部をウロチョロ シサイだったかで ビルマへ公然の密出入境をし(国境の橋を 現地の人は自由に行き来している)市場で買った クジャクの羽束は いまだ 我が家の本棚に飾ってある)
 バンコクに戻ってからは チャオプラヤ川を水上タクシーで一日中 行ったり来たり・・・
 バスを乗り継ぎ 乗り継ぎで マレー半島大縦断(数ある タイ・マレーシアのビーチ・リゾートへは一切寄らず これらは後のお楽しみに)そして シンガポール

 当時 マラッカ海峡の水難事故が多く報道されており(満員の乗客を乗せた大型船が 転覆したとか なんとか・・・)で 船はやめる 空路 スマトラ島を飛び越え 赤道も飛び越え(初の赤道越え)直接ジャカルタへ 何故か インドネシアへ渡れてほっとする ジャワ島 ジョグジャ ブランバナン ボロブドゥール 田舎の村が本当にいい
 憧れだったバリ島へは 船で渡る ゆっくりと過ごす 各国のバックパッカーが わんさかいる みんな リラックスしている感じ 平和なもんだ・・

 夢見がちで または疲れ切ってか 帰国までの数日はまったく記憶にない ただ、自宅に戻り 銭湯に行った時のこと 頭を洗っていると ふと目の前をどぶ川が流れている 誰だ?こんな汚い頭 洗ってるのは?と・・・
 後日 新宿で飲んでいるとき インドシナ3国が 王国だった時に 旅したという人と知り合ったことがあった それはそれは 天国だったそうだ そんなところへ外国人として行ったら それはそれで面白かったのかもしれない 金子光晴は読んでいたが 時代は移ろうなァ

 ラオスには 苦い思い出がある 確か 1985年 旅行社で「ラオス ツアー」を担当した時のこと ラオスの国際旅行社との連絡は テレックス
 こんなやつ(下図)


 入国ビザを取るのは 現地 ビエンチャンの空港に到着後 そこのイミグレで取るしかないが 事前のパーミッション連絡がこない ツアー参加者のデータを送り 何度も ” TOP TOP TOP URGENT ” の電報(TELEX)を送るも 音沙汰なし
 来たのは 出発当日の朝(ツアーは 前日にキャンセル決定をしていた 約款や旅行契約書に明記されているとはいえ 期待が膨らんでいた参加者は全員落胆 なんせ ” 初 ” の(ラオス国際旅行社が受け入れる)ラオスツアーだった 航空券は JALの成田~バンコクの往復に バンコク~ビエンチャンの普通往復券を付けたもので 既に発券済み JALの規定で 当日キャンセル扱いとなり キャンセル料100%支払うことに
 後から「ビエンチャンまで とりあえず飛んでしまえば良かったのに」との声もあった・・もちろん 個人的にはそう思いました


 1994年以降 メコン流域 架橋が進み タイ・インドシナ3国は大きく変わっている


・「第1タイ・ラオス友好橋」完成(鉄道道路併用橋 1994年4月08日)(ヴィエンチャン - ノーンカーイ間)2009年3月5日より鉄道の乗り入れが開始 タイのノーンカーイ駅からラオスのターナレーン駅まで6.15kmが開業し、タイ国有鉄道によって1日2往復の定期国際旅客列車の運行が始まる

・「第2タイ・ラオス友好橋」開通(2006年12月20日)これにより ベトナム、ラオス、タイ、ミャンマーの国々が東西に結ぶ「東西経済回廊」が完成

・「第3タイ・ラオス友好橋」開通(2011年11月11日)

・「第4タイ・ラオス友好橋」開通(2013年12月11日)「アジアハイウェイ3号線」の一部 完成すれば中国雲南省昆明からラオスを経由し、バンコクにつながる陸路(南北経済回廊(東北回廊))による移動・輸送が可能になる


 カンボジアの500リエル紙幣には 日本のODAが無償協力で建てた二つの橋「きずな橋」「つばさ橋」が描かれている

・「きずな橋(第一メコン橋)」開通(2001年)カンボジア国内初のメコンにかかる橋
・「ネアックルン橋(第二メコン橋 通称 つばさ橋)」開通(2015年3月26日)ホーチミン - プノンペン - バンコクが陸路でつながる アジアハイウェイ(AH-1)の一部 ASEAN諸国の物流の生命線である「南部経済回廊(第2メコン東西回廊)」の一部をなす

・「ラオス・ミャンマー友好橋」開通(2015年5月09日)





(大河をさか上る・下ることに憧れがあるのだろう 1982年に ” 地中海一周 ”をした際 都合でエジプト・アブシンベルを諦めた 今度 いつかはと・・・ナイル川を船でさかのぼって アブシンベル そして スーダン~エチオピア~ケニア~タンザニアから 西海岸まで横断の旅の準備をしていた
 スーダンのビザも降り 来月には出発だとも思っていたが 前後して 一般旅行業務取扱主任者の合格通知が届く(勉強もしていたんですねェ)旅立ったら ブラック・アフリカにはまり もしかして半年? こりゃ 日本社会に復帰できんなァ
 う~ん。就職しよう!!ということで  アジア系の航空会社の東京事務所(大手ではありません)と旅行会社を見つけ出し 面接に行く 両方受かるも 旅行会社を選ぶ その後 約20年間 旅行業界でお世話になることに
 川は流れてどこどこ行くの~♪ 人も流れてどこどこ行くの~♪(喜納昌吉作詞・作曲))
2021年12月27日